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東京高等裁判所 昭和55年(う)1922号 判決 1981年2月18日

被告人 野本美千雄

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮八月に処する。

この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人首藤逸雄作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官窪田四郎作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一点(法令適用の誤りの主張)について

論旨は、被害者が自転車に乗つて本件交差点を横断するにあたり赤信号無視、左方不確認という明白かつ重大な交通法規違反があつたのであるから、被告人に制限速度の超過があつても、被害者にみられるような交通法規違反行為までも予想して自動車を運転走行する注意義務はなく、したがつて、被告人に業務上過失致死の罪責を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがある、というのである。

そこで、所論にかんがみ、記録および証拠物を調査し当審における事実取調の結果をも加えて検討すると、関係証拠によれば次の事実が認められる。

一  本件交差点は、栃木県安蘇郡田沼町大字吉水に位置し、南北に走るアスフアルト舗装道路(以下「南北道路」という。)と東北方面から西南方向に通ずるアスフアルト舗装道路(以下「東西道路」という。)が交わる変型十字路で、押ボタン式信号機(歩行者用)が設置されている(右信号機は、南北道路側に対するものは、常時は青色を示し、東西道路側のものは、歩行者専用で、常時は赤色を示し、南北道路を横断しようとする歩行者において押ボタンを操作するときは、南北道路側は黄、赤、青と、東西道路側は青、青の点滅、赤と順次自動的に変化する。)。

二  南北道路は歩車道の区別があり、車道幅員は約一三メートルで、四車線となつており、本件交差点の南方の入口付近には横断歩道が標示されている。東西道路は歩車道の区別がなく、同道路の東側の幅員は約五メートル、西側の幅員は約五・三メートルで、西側道路の交差点入口近くに一時停止の道路標識が設けられている。南北道路、東西道路とも、ブロツク塀等のため左右の見とおしは良くない。なお、速度制限は四〇キロメートル毎時である。

三  被告人は、昭和五十五年三月二四日午前一一時五〇分ころ、大型貨物自動車を運転し、砕石場に向うため南北道路を北進し、時速約八五キロメートルで本件交差点にさしかかり、対面する信号機が青色を表示していたので、漫然同速度で右交差点を直進しようとしたところ、右方道路から、足踏式二輪自転車に乗り幾分下を向いて急いで同交差点に進入してきた金子巳喜造(当時七五歳)を右斜め前方約五〇・八メートルの地点の交差点内に発見し、急制動の措置を講じハンドルを左に切つたが間に合わず、同自転車に自車を衝突転倒させ、よつて、同日午後二時二三分収容先の病院で同人を脳挫傷により死亡させるに至つた。

以上の事実を認めることができる。

所論は、金子巳喜造に赤信号無視、左方不確認があるというので、考察すると、前記のとおり同人の進行してきた東西道路側の信号機は歩行者専用のもので、このような信号機の示す赤色の信号の意味は車両(自転車を含む。)を拘束するものでないから(道路交通法施行令二条三項)、右の信号機が赤色であつたからといつて、同人に信号無視の違法があるとはいえない。しかし、南北道路側の信号機は青色を表示しているうえその幅員は東西道路の幅員より明らかに広いと認められるから、同人としては南北道路を通行する車両等の進行を妨げてはならず、したがつて、左右の道路の安全を確認して交差点に進入すべき注意義務があると解される。ところが、同人は幾分下方を向いて自転車を運転し本件交差点を直進しようとして、おりから高速度で進行してきた被告人車と衝突したのであるから、同人に左方の交通に対する配慮を怠つた落度があるとみられてもやむをえない。

一方、被告人は平素南北道路を通行していて、その最高速度が四〇キロメートル毎時に制限されており、かつ、本件交差点に設置されている信号機が押ボタン式であることは承知しているところであるから、被告人としても右制限速度を遵守し左右の道路から交差点に進入する車両の有無に注意を払つて進行すべきであつたといわなければならない。

もつとも、制限速度を一〇キロメートルないし二〇キロメートル毎時をこえる速度で走行する自動車のあることが稀有でないにしても、被告人は、昼食時に近かかつたことや交通が閑散であつたことに気を許し制限速度を四五キロメートル毎時も上廻る高速度で疾走したのである。そして、右斜め前方約五〇・八メートルの交差点内の位置(衝突地点までは約四四・五メートル)に被害者を発見しているのであるから、被告人が制限速度内かこれをこえても二〇キロメートル毎時超過の程度の速度で走行していたとすれば、急制動の措置を講ずることによつて容易に衝突事故を避け得たと思われる。

これを要するに、制限速度の倍以上の著るしい高速度で交差点を突破しようとした被告人に過失のあることが明らかであり、このような場合にまで信頼の原則を適用することはできない。原判決に所論のごとき法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(量刑不当の主張)について

論旨は、被告人に禁錮八月の実刑を言い渡した原判決の量刑は重きに過ぎる、というのである。

記録および証拠物を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討すると、本件事案は前示のとおりであつて、甚しく高速度で大型貨物自動車を運転しその結果尊い人命を失わせることになつたもので犯情は芳しくなく、加えて被告人はかつて業務上過失傷害の罪により罰金刑を科せられていること等にかんがみれば、この際相当の刑責を免れない。

しかし、他方、被害者も七五歳の高齢で、幅員の狭い道路から幹線道路に進入するにあたつての注意義務遵守に遺漏があつたとみられること、原審当時被害者の遺族との間に示談が成立していたが、被害者の養子が当審公判廷に出頭し、被告人の家族のことに思いを致し被告人の誠意を諒として寛大な処罰を望む旨上申していること、本件は勤務中の事故で、勤務会社の社長をはじめ同僚も向後被告人の監督を誓い更生を望んでいること、被告人は本件の非を深く悔い反省の情を表わしていること等の有利な事情が認められ、その他被告人の家庭の状況等諸般の情状を総合考慮するときは、現段階においては原審の量刑は重きに過ぎ、いま直ちに禁錮刑の実刑に処するよりはその執行を猶予するのが相当である。論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに次のとおり判決する。

原判決の認定した罪となるべき事実に原判決摘示の法条を適用し、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期範囲内で被告人を禁錮八月に処し、刑法二五条一項前段によりこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、原審における訴訟費用の負担につき刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡村治信 林修 新矢悦二)

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